左右

‪絶対に近づいて欲しくない領域が久々表に出てきたと思ったらさんざ暴れた挙句きったねえ顔描いて泣いて疲れてねむった。これが自分の自分かあ随分元気だあそうかあ。お前が消えたら急にすごいお腹すいてきて、眠たくなった。ただの人間だなあ好きにしてくれでももうあんまりここへはきて欲しくない‬、宿主は自分の自分がこわかったしめちゃくちゃ恥ずかしい。でも絵は消さない。ありがとう。なんかありがとう

嘘つきは死んだ

素直に誠実に生きてる。素直に誠実に生きて、素直に誠実に生きてるのに気がついたら背後からすらすら手が伸びてきて目も耳も鼻も口も塞がれる。だからここがどこで目の前の人が誰であろうが自分には関係ない。関係がないのにつらくなるのが不思議。関係ありますから。これをやれっていわれたら一生それだけやっちゃうんだよ、だめだけどずっと一生懸命なんだよ

にじんだ

いろんなこと忘れた。

誰かの中に自分を見付けてはその人になって、どうせ何もできない。

あまりにも世の中との相性が悪かったから、そう見えないように装ったら電球みたいな人になった。

熱が出て、ダメだった。誰の期待にもこたえられる人間ではなかった。自分の期待は、誰かになれる、という意味のないもので、全く。それを辞めてからは何も無くなった。

自分でいることが嫌、その癖に自信満々な部分があったのは今でも不思議に思える。それは少しだけいまも左手の真ん中くらいにちょっとだけいて、でもだいぶ長い間寝てるかも。どうしたらいい

 

幼い頃の屈託のなさは残っている、明るいし。

反面、全てを否定する自分。それは後からできたものだけど、あれとはもうだいぶ長い付き合い自分を最大限に守ってくれる部分。あれは私のことがすごく好きだ、私もお前が好きだ。

 

出掛ける前、唇が馬鹿みたいにひび割れていて、いつもみたいに手で剥いたら血が滲み出た。

 

繊細だねってわらわれて、受け入れられた、ように思えた。自分も誰かにそういう態度を示せるかな、好きな人たちを大切にしたい意味は、自分の世界を少しでも守りたい自分本位の意思で周りの人が少しでも良くなればなって簡単には言えない。どうでもいいことってほんとはどうでもいいって思えない、ちゃんと教えてよ、すこしは喋ってよ。いつからかたくさんしわくちゃにして捨ててきた紙ゴミ、別に捨てたわけじゃない。すこしは人に対してほんとの気持ちを言えるようになりたい

自分のこと忘れないでよ、さみしいって言えよ

結局堂々巡りの毎日と堂々巡りの思考を何年か周期で繰り返している。
自分でもおかしいくらいになにひとつかわっていなくて、あ、そうか
気づいたような気がした自分発見については知れば知るほど人間として自分を認めていくのが辛い。
人を好きでなく、自分を好きでなく、それでも自分や他人に依存しなくては生きていけない世の中で、どちらの自分を騙していたのか。

いつのまにかもう嘘の方が自分の顔をしていて、その少し隠していた少しの嘘が、まとわりついてもう普段ではそっちの方が楽でさえある。
ひどいはなしで、もしかしたら放棄の始まりかも知れない。

あのときの自分に今の自分をみせたらきっと殺されるのはわかっているけど、そんなに強い自分はもうどこにもいなくなってしまった。自分の悔しさや原動力は、もうどこにもない。何かを作り出す意味も理由もない、ただもう終わったんだな。本当の意味で隠れただけ。だれもこっちに触れないだけ。少しくらいドアを叩く音がしてもいいはずなのに、長い間の拒否が全て現実になってしまった。反比例の感覚がずっとひどくなってるだけ、恥ずかしい

なんの言葉も出ない、感覚は浮かんでは消えて何も残らない

無いのと同じなのに、何かを気づいて欲しいと脳に囁かれる。

その声さえ聞き逃して なんとかその日をやり過ごす

この短い期間でたくさんの知らない蔭が行く当てもなくうまれた。それは自分の感覚だったことそれすら忘れて、誰かのことも忘れて、初めからなにもわからなく、

だからそれはなにもないということ。0を0といってるだけ。

いつか燃やさないといけないのに、その燃やし方も、お骨を入れる壺だってない。

そもそも触れやしないのに、高温で燃やすことも叶わない。

わたしは死んだ人にしかお花をあげないことにした。

安心、それって、"消える"ということだと思った。

わたしたちの世界に境界線などなく、どこからでも始まりどこからでも終われる、家の帰り方を忘れ、今をなくして陽の光に当たりに行こう、それはとてつもない不安でもあるけれど

闇雲の中にひかり、多分