左右

生きているということ

ねこだって私だって生まれたくて生まれてきたわけではない。生きたくて生きてるわけではない(ねこは全身全霊で生きようとしている)、死にたくて生きてるわけではない(自分は)でも別に生きなくてよかったならはじめからない生でよかったけどまあ、のこのこ26年生きている。身体や環境があるからいつのまにかこうなって生きてて、そんで身体が生きようとするのは本能で何もしなくても腹は減るし、排泄だってするし何かぶつかってきそうだったら避けるし血が出たら身体が勝手に白血球で固める。飯は食べたくて食べてるわけではないけど思考のために白米が必要だからお茶で掻っ込んで、おしっこをする。

精神

生きている以上なんで生きているかの理由を欲しがるタイプだった自分は兄等の影響もあり自分の在る意味を"絵"の中に深く大きくほぼ全ての理由と持ち得る自尊心を突っ込んで信じていた。(後に痛い目を見る)

"場"に存在する理由についてはその都度アルバイト先学校対人、常に在ることの意味と理由を求めた。毎日毎日常に不安を払拭するための行動を全力でパフォーマンスすることが、その場に居られる唯一の理由だった、相手が何を思ってるかは知らない。自分が自分である為に重要なことだったから。どんな角度から見てもその時のフルパワーを使っていないと自分の中のいのちに許される気がしなかった。

幼い頃から自意識が過剰な性質で思春期の出来事もあいまって他人から見られる自分と自分の中に在る自分をいつの間にか無意識に分けていた、これはまだ現在も同じで、他人を信じない理由にもなっているし他人に信じてもらえない理由でもある。

こんなへらへらした外観の人が1人思考に体を丸めるとまったく逆の性質しか出てこず、呼吸の仕方すら変わる。だれが自分の発言を信じるかいや自分だったら信じないね、のような感じで未だ拗らせている。だから人を信じたいし人に信頼されたかった。現実を頑張るにはどうしたらいいかいつもわからない。表に出てる自分の嘘っぽさは全ての発言を無化する、心の持ちようかもしれない。嘘はあれから本当に吐いていない

わたしはバカなので、今までの人生では唯一1人だけもう何も隠す必要の無い人が居る。バカなとこも醜いところもそれをなんら曇りなく受け入れた、もう一度言うけどわたしはバカなので、そういう人にちゃんと心をひらいて接する事が出来たのはつい2年前、もう馬鹿な見栄は止そう。止した。気が付けば10年以上経つ

存在する理由を欲しがるわたしはわたしを世話する理由が全く見つけられない、ゆえめちゃくちゃだらしない

逆に言えば他人がいる事で背筋を伸ばし、何かやれる事は無いかとテンテコし、気を使い出す、これではひとりで生きられない、なんかばかばかしいけどそういう事なんだろうと思う。でも言っておくけど世話されるのも好きだから髪の毛乾かしたりして欲しい。よろしく

わたしは頭の中にものすごい他人観察濾過装置があって、それは10年経たないと身体に浸透しないらしい。今いる好きな人たちは最低あと10年付き合ってもらって、やっと優しい関係になれたらと思う。ごめんなさい。浸透した水のことは多分安心という名前。

生きる理由は今のところ無い、存在する理由はやっぱり常に探している、それが理由かもしれない。人の意識のなかにいていい事を、だれかに教えて欲しい