左右

結局堂々巡りの毎日と堂々巡りの思考を何年か周期で繰り返している。
自分でもおかしいくらいになにひとつかわっていなくて、あ、そうか
気づいたような気がした自分発見については知れば知るほど人間として自分を認めていくのが辛い。
人を好きでなく、自分を好きでなく、それでも自分や他人に依存しなくては生きていけない世の中で、どちらの自分を騙していたのか。

いつのまにかもう嘘の方が自分の顔をしていて、その少し隠していた少しの嘘が、まとわりついてもう普段ではそっちの方が楽でさえある。
ひどいはなしで、もしかしたら放棄の始まりかも知れない。

あのときの自分に今の自分をみせたらきっと殺されるのはわかっているけど、そんなに強い自分はもうどこにもいなくなってしまった。自分の悔しさや原動力は、もうどこにもない。何かを作り出す意味も理由もない、ただもう終わったんだな。本当の意味で隠れただけ。だれもこっちに触れないだけ。少しくらいドアを叩く音がしてもいいはずなのに、長い間の拒否が全て現実になってしまった。反比例の感覚がずっとひどくなってるだけ、恥ずかしい