左右

生をする

もともとは、自分のことを語る手段が欲しくて絵を描き始めた。

 

生温い空気を吸って、いつもよりきつい浮浪者の臭気を感じながら西口通路を歩く。

なだらかに移り変わるリズム、刻まれる音、自分の身体がいつもより鬱陶しい温度だなあ。

今思うのは、今何も思わないこと。過去の感覚は邪魔くさかった。

右手がなにも生み出さない、絵も、その他のやりたいことも、全てが今ではただのプレッシャーだから、責めたくない、出ないものを無理やり出すのは惨めだから、

自分には、

やるもやらないもずっと惨めだけど、つらいし、すごくいやになるけど。自分の選んだ道を常に尊重してきた、人との出会いは蔑ろにしがちだけど・・いい出会いを毎回している。だからいまは病まなければ、どこまででもやろうと思っている。秒読み段階になったらちゃんと休む。

自分の扱いが未だに下手、世間との不釣合いが自分の真裏で、真隣で起こっていることを教えられてからわけわからなくなった。

よく喋るときは、必死な時が多い。呼吸が浅いと思う。酔っ払った時は、生死の話が好きでよくしてしまう、でも大体そんな話題になんかならないから、どうでもいい話して時間が終わる。

人が死ぬ、誰も体験できないことを誰もが1番最後に体験する、壮絶だなあ。

死は、自分にとって身近では無いんだと思う、今までに出会った死、どれも紛れもなく自分以外に起こったことだった。

何年か毎に思い出して泣くときがあるでも、あれはどんな  なんて感情なんだろう。ねえ

 もう背中に齧り付く悪魔に耳を傾けない代わりに、作りたいものがたくさんあるよ