左右

体裁

大体

 

繕ってやっていくことが当たり前だったし人前でダサいのはほんとうにあり得なかったし生きてるだけで恥ずかしいし、だから外面だけ本物っぽくゴミカス集めて雨で濡らして固めました。

作品だってソレっぽく描いて褒められたくてやってたことは多分言い訳できないくらい本当でそんな事実クソ恥ずかしかったから、それっぽく悩んでる風な人となりました、でも結果本当に反り返る壁によりバカみたいに毎日ぐるぐる同じこと考える泣きながらわらうきもい人間へとなりました。

なんとか人の優しさで立ち直り、それでも絵を描き、自分の本当の描きたいやりたいものってなんなのだろうかと、少し向き合いました。絵にテーマや様式や型など必要なく、自分は自分の呪いを筆やキャンバスや紙や一本一本の線にまで塗り込めた、まるですべて自画像のような絵を、描きたいだけでした。べつに褒められなくても良かったはずだったんです。

わたしは勘違いをしていて、わたしのやることは世界中の人が褒めてくれるものだと思ってました、だってその頃の世界はわたしを中心に回っていたから。そう思うのも当然だった

上辺だけでうまくやってく方法だけは元来の器用さで身についてしまって、結局今の作品だってデジタル上でデザインして出力したものなんかにイチミリも本当の思い入れなんか生まれるわけがなく、それこそ別に発表したらすぐ捨ててもいいくらいです。わたしの呪いなんか授業やこれから先のクライアントには邪魔なだけです。作品に対して真剣なのはそれはただの真面目さです

芸大を受け続けたことだって体裁なんだと思う、ははそれは本当に誰にも言われたくねえけど、カッコつけたかったんだよ、かっこ悪いのあり得ないと思ってたから、まあ、いろいろ捨てて、それでも生きることを考えてます。だから逃げ道があなたにはあると言われたことが本当に腹立たしくて悔しかった、ないんだよどこにもどこにも逃げるとこなんかない。そりゃ逃げ切って勝つことが目標だったよこれは諦めの歌ではないことをわかって欲しい

わたしはこれからきっと公私がもっとハッキリわかれるでしょう生み出すもの全てを愛さないといけないと思っていたけどそんなことは無理だった。そこまで破滅できない

自分にかける呪いみたいな絵を描ける右手があってよかった、全てを愛しなんかしません、自分のことも同じです

ラミパスラミパスルルルルル・・

さようならって意味があるらしいです

怒ると敬語になる傾向があるんです