左右

西洋タンポポが埋め尽くす空き地

隈の染みついた顔

見ない夢、感覚のある恐ろしく鮮やかな夢、気持ちが悪い、いつか溶け込む夢、境界線の曖昧

今日は静かな日
静か、穏やか。こういうなんでもない日に描く絵は、なぜか不穏になることが多かった。ドローイングを毎日している時不思議なことだなと思っていた。
空っぽに近いと、空洞の先に手が届きやすいのかもしれない。

本当の今日の今日は風がつよい。少しだけ雨も降っている。さくじつ夕方遅くに出勤して今日の昼前いま、今日はもう大丈夫といわれ、酒を飲みに餃子屋へ向かっている。

首を前に落として、音がちょっと大きいと感じる。身体から不調のサインが出たり、引っ込んだりを繰り返している。

し。でもわたしはよくわらう。

生をする

もともとは、自分のことを語る手段が欲しくて絵を描き始めた。

 

生温い空気を吸って、いつもよりきつい浮浪者の臭気を感じながら西口通路を歩く。

なだらかに移り変わるリズム、刻まれる音、自分の身体がいつもより鬱陶しい温度だなあ。

今思うのは、今何も思わないこと。過去の感覚は邪魔くさかった。

右手がなにも生み出さない、絵も、その他のやりたいことも、全てが今ではただのプレッシャーだから、責めたくない、出ないものを無理やり出すのは惨めだから、

自分には、

やるもやらないもずっと惨めだけど、つらいし、すごくいやになるけど。自分の選んだ道を常に尊重してきた、人との出会いは蔑ろにしがちだけど・・いい出会いを毎回している。だからいまは病まなければ、どこまででもやろうと思っている。秒読み段階になったらちゃんと休む。

自分の扱いが未だに下手、世間との不釣合いが自分の真裏で、真隣で起こっていることを教えられてからわけわからなくなった。

よく喋るときは、必死な時が多い。呼吸が浅いと思う。酔っ払った時は、生死の話が好きでよくしてしまう、でも大体そんな話題になんかならないから、どうでもいい話して時間が終わる。

人が死ぬ、誰も体験できないことを誰もが1番最後に体験する、壮絶だなあ。

死は、自分にとって身近では無いんだと思う、今までに出会った死、どれも紛れもなく自分以外に起こったことだった。

何年か毎に思い出して泣くときがあるでも、あれはどんな  なんて感情なんだろう。ねえ

 もう背中に齧り付く悪魔に耳を傾けない代わりに、作りたいものがたくさんあるよ

なまみ

坂道で、潰れた鳩をみた。朝方4時、社から家へのタクシーを探している途中に見かけた。肉が飛び散り、赤く、街頭のせいで少しピンク色に見えた。

それをみながら何かを想像する。

昼食、安さから行く、牛丼チェーン店、牛の血肉を食べているんだと、屠殺の現場は見たことがない。何かを察して鳴きわめく牛を想像しながら食べた。この絵図は、島崎藤村を読んだときに覚えたものですか?茶色くていい匂いのする調理済みの肉を食べてるからいつもそれがなんなのかを一切思い出せない、牛の血の色を考えながら、美味しいなあと食べた。

頭を働かさない。指示だけで動く、想像はする、するだけ、何1つ自分で決着をつけられない制作物、なんのことかが、わからない。

あたまを、このままの状態で使い続けるならわたしである必要がない。

 

べつのひと

夜、太陽のひかり

昼間

 

仕事が詰まっていなかったので、あかるいうち空気をいっぱい吸った

 

今日は昨夜寝るのが遅かったのに気持ちのいい朝でよかった

光を浴びる機会が本当に少ない

今日は仕事で、まだあまり慣れないペンタブで絵を描いた。

もっと使いこなせるようになりたいが、普段家で練習できるような時間が少なく中々やりたいことが頭の中で走り回っては休み、走り回っては忘れ、を繰り返している。

いいものを作りたい。

自分の手から苦しんだ末に出てくる愛しいものをしばらく見られていないから、自分が消えていく。

消えた自分を燃やすことが出来ずにいるから頭の中は死んだ生ゴミだらけ

つかれたからって本を読まないで帰るって言うのはだめらしい。

家に帰っても眠れない。仕事がべったりついてきて。

読めば、会社を出てから1時間後の最終深夜バスに乗る頃少しは、落ち着いている。

喉が渇いた、3食とはなんのことだろう。