左右

ここ最近、私は何を考えて生きていたかしら。

ずっとずっと頭の中を行ったり来たり、ぐるぐる歩き回る毎日から
どこにも行けない体調不良を数年間抱え、歩くのにも目の回る毎日                                                                     
昨日を愛せなくなってから
日を、ただ過ぎてくのを脇目でしか確認できなくなってから

何がそんなに怖かったのか、自分と言う塞げない穴が絶望だった。
そしてその絶望を平気で抱えて生きている他の人たちを怪物としか思えなかった。

昨日を今日をさっさと失くして、人をすこし好きになれたのはなんら難しい事ではなく
諦めとは違う、なんとなく見過ごすテクニックをきっと身につけた、きっと
ぐるぐるぐるぐる歩き回っていた廊下の途中にいつからか沢山の椅子が並べられて
なるべくなるべくそこばっかりをなぞらないように。
まあまあ、座って窓の外眺めなさい。

  同じ言葉をずうっと復唱していると、その言葉の呪いにかかることを私は知っている。
嫌な事を嫌だと思い始めると親指の爪の皮全部剥いでしまいそうなくらい本当に嫌になる。
純粋な人と思ってもらえれば有り難いけれど。

私の生きている上でのテーマは、”共感と人との距離”だと言って間違いなさそうである。
当時からの大きなテーマだったかも知れない、今更やっと自分自身に言葉として浸透してきた様子。

目の上に掠める思考を必死で追っかけて、
感じたことを絵で描きたかっただけの中学生が方法を求めて絵画を目指したはいい。
それが大きな壁となって、自分のテーマすら見失う羽目になるなんて。

いつまでたっても届かない、近くに見える大きな城の正体
私の中の共感と、世間の共感との大きな差
私の共感とは、その何かを介して感情を自分と共有するだとかそういった遠まわしのお話ではなくて、
わたしの感性に直接触れ合う、本当の自分本位な共感を求めていた(今も変わっていない)
そして世間のお受験で求められていたことは、テーマに沿った誰かとの共感。
そのテーマについて殆ど感じることなんか無いのに、わたしは本当に、そんな意味不明な事では気の入った絵を描けなかった、
何度、
何度敗北したことか。
プライドを引っ掻き回されて訳のわからない恥をかいて家へ帰ったか。
こんなはずではない

わがままだし、自分が教師だったらちょいちょい君、頭を整理して出直してこいとかそういう事をいうかもしれない。

さすがに、浪人し幾年かたってからはそれなり意味を理解して課題はこなしていた気がするけれど
   自分の中にあった燃えるような情熱はどんどん坂の上に行ってしまうようだった。
そうして自分の中の自分はコロコロ付きの椅子で、くるくる回りながら自分の亡霊を遠くに見るだけ、しかもすごく輝かしい。

順応できなかったただそれだけのことなんだけど、結構な大事件だった。
緊張をし過ぎる話もこれにのっかってくるんだけどそれはまたの機会にしておく。

自分のことを認めて欲しくて始めた得意なことが、人生の中で足を引っ張っていることは耐え難いことだった

わたしは、わたしのなかの私をいつか救えるのか
そんなのは知らない、
ただずっとひとりだけで生きていけないという事だけ、確かな実感として背中を叩くのであった